2月11日は、「建国記念の日」「建国をしのび、国を愛する心を養う日」

2月11日は、「建国記念の日」「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年(昭和41年)に定められました。2月11日と言う日付けは、初代天皇とされている神武天皇の即位日である旧暦紀元前660年1月1日にあたり、明治に入って、新暦に換算した日付けです。かつて、明治時代には、「紀元節」と呼ばれる建国を祝う祝日がありました。紀元節は、『日本書紀』による初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定されました。神武天皇のご即位の日は「辛酉年春正月庚辰朔」とあり、旧暦元旦は新暦の下では毎年移動してしまうため、この日を太陽暦に換算し直して2月11日に定められました。今日は、国を愛する心を養う日です。私は、「自国の神話を忘れた国は滅びる。」と言う言葉が忘れられないのです。第二次世界大戦 東京裁判、1946年〜1948年まで行われました。日本は、1931年の満州事変〜1937年蘆溝橋事件を経て日中戦争に突入し、1941年真珠湾開戦、1945年の原爆投下に至るまでのプロセスを侵略戦争と判定され、平和に対する罪とされて、東条英機ら7名の絞首刑が施行されました。インドのパール判事がたった一人の国際法の専門家だったと言われており、日本が国際法に照らし合わせて、無罪であると終始主張したと言われています。パール判事の判決書だけは、全ての告発条項について全ての日本の被告、全ての告発条項全て否定しており、全て無罪であると反発のしようが無いほど明快に否定しているのです。他の裁判官の判決書も、もちろん公開されましたけれども、パール判事の判決書は、マッカーサーが占領している間は、出されなかったのです。パール判事は、イギリスが出した判事なので、日本を裁く国から出て来たと言っても良いのだけれども、法律家なので、厳密に調べたら、日本の被告は全ての告発条項に関してどの人も全部無罪としたわけです。日本の教科書に、日本は国際法を犯し侵略戦争を行ったと言う記載に対して、パール判事は、たいへん憂いて、日本の子孫が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されていくのを平然と見逃すわけにはいかないとまで言って励ましてくれたのです。パール判事の予言通り、終戦後75年、日本に深い傷跡を残しているのではないでしょうか?日本が敗戦後、自信を失い、文化的にも、アイデンティティを失っていた時代に、パール判事の言葉が、どれだけ勇気を与えてくれた事か。この恩義を忘れる事なく、この事実を知らされていない世代に、伝えていく役割が有ると思っているのです。靖國神社の遊就館の映画「私は忘れない」を見て欲しいのです。英霊たちの日本を思う、祖国を思う愛国心、家族を思う純粋な日本人の魂を、知って欲しいと願っています。今日は、「建国記念の日」日本人が、日本人の魂を取り戻す日であります様にと祈ります。『パル判決書の真実』

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